終活を考える

親戚が亡くなった。

お医者様から、

「会話ができるうちに会いたい方には合わせてあげてください。」

と言われたらしく、あと1週間ぐらいなんだろうか、、、と自分の経験値から勝手に推測したのだが、今回もだいたいこの推測が当たった。

こういう時に、自分の死について真剣に考える。

エンディングノートは書いた記憶はあるが、それをどこに置いたかも忘れている。

銀行情報や証券口座については書いた記憶はあるが、お葬式の時に誰を呼んでほしいとか、だれに連絡してもらうとかそういう内容は書いた記憶がない。

自分が死んだあとでも意思疎通ができたら、このパソコンのここを見てと指示は出せるが、死んでしまった後では、どうにもできない。

今の状況では家族に迷惑かけるよね?と反省する。

人によっては残された人が良いようにやってというが、私は迷惑をかけたくないから、ある程度は自分で決めてこの世を去りたい。

今、このブログを書きながら心配になったことは、パソコンやスマホの情報は死んだあとどうしたらよいのだろう?と言うこと。

のんきな話で、お棺の中には、とらやの羊羹を入れてと書いたが、中身は食べて箱だけでよいからねと変更しないといけないかしら、とか言ってる場合ではない。

人の死をまじかに接すると、いろいろ考えてしまう。

終活の入り口の私。

まだ時間はある。

これ以上物を増やさないとか、自己管理できる範囲内の生き方をしていこう。

ほしいと思うものができた時に、それが本当に必要か?と考えないと。

ものは増やさない。

その代わりに思い出はたくさん作ろう!

まず、残された人が処理に迷わない、悩まないようにしてあげるようにしておこうと思うお盆の季節であります。

年金

前の記事

ねんきん定期便
つれづれ

次の記事

宇宙旅行